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かぶり物(ベール)についての神話

(Myths About the Headcovering)

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私は大学時代に、かぶり物(祈りのベール)について調べ始めました。今日もはや、神は(姉妹に)かぶり物を課してはおられないということの論拠を見い出そうとしたのです。実際私は、かぶり物は必要じゃないと思っていました。

こうしてかぶり物について深く研究していくにつれ、これについての多くの憶測的見解が、あたかも真実であるかのように語られていることに気づきました。つまり、かぶり物に関する多くの神話が存在していたのです。こういった偽りの教えは、多くの注解書の中にみられました。

そういった教えは説教壇から説かれ、そして、あるクリスチャンから他のクリスチャンへと伝えられていっています。

そうやって彼らは――いわゆる聖書の「明瞭な」解釈――を他の人に施そうとしていますが、彼らの主張には聖書的ないし歴史的根拠がないのです。

こういった偽りの教えはあまりに頻繁に繰り返されているため、人々はそれを真実だと思い込み、もはや自分自身で確かめようとしないのです。何と言っても、こういう神話を繰り返し説いている人の多くは、博士号の持ち主なのですから。

その結果、教会は、誤った情報に基づき、祈りのベールについて教え、行ない、反応しているのです。一般的に、かぶり物についての質の高い、学術的な研究は乏しいということにも気づきました。

次に挙げるのは、かぶり物に関する〈神話〉の中でもとりわけ重要なものの幾つかであり、なぜそれらの説が誤っているかについての説明です。

【神話その1】 当時、売春婦だけが頭をおおわずに、外を行き来しており、パウロはクリスチャン女性がそういった売春婦と一緒くたにされるのを避けたかった。

この神話は、学術的な歴史研究の乏しさゆえに、まことしやかに伝わっているものです。古代ギリシア時代と、ローマ帝国支配下にあったコリント時代が、一緒くたになっているのです。

それは例えて言うと、今から2000年後の誰かが、植民地時代のアメリカの生活様式を研究しながら、それを基に、「紀元2000年のアメリカはこうだった」と言っているようなものです。

神殿娼婦制度のあった古代のコリント市は、紀元前146年に破壊されました。そしてユリウス・カエサルが100年後に、コリントを復興させたのです。第一コリント人への手紙が書かれた頃――つまり、神殿娼婦制度が廃止されて200年経った後――コリントは完全にローマ帝国の都市となっていました1。

紀元1世紀のこの時期におけるローマ帝国での生活は、多くの面で、歴史上どの時期よりも、今日の社会のあり方に近かったということができます。女性たちも、それ以前には享受していなかったような多くの「自由」を得ていました。女性たちには教育を受けることや、公の場で話すこと、妻の側から離婚を申し立てることなどが許されていました。女性たちは避妊薬を用い、中絶を行ない、「性的自由」を楽しみました。2

使徒の働きには、いくつかの都市における「主だった」女性および、アレオパゴスにおけるパウロの説教の場にいた女性たちのことが触れられています。この時期、ベールやその他のかぶり物を着用している女性たちもいるにはいましたが、多くのノンクリスチャン女性は、ベールで頭をおおっていませんでした。凝った髪型もまたこの時期、流行っていました。

【神話その2】 Ⅰコリント11章のかぶり物は、(当時の)文化的習慣に基づくものだった。

教会がノンクリスチャンの慣習に従うようにという掟は、新約聖書の中に存在していません。クリスチャンとして、私たちは、この世に従うのではなく、イエスと主の掟に従って人生を打ち建てるべきです。

上述した1世紀のローマ帝国における女性たちの描写からも分かるように、Ⅰコリント11章におけるかぶり物の教えはコリントの文化に基づいたものではありませんでした。またユダヤ文化に基づくものでもありませんでした。といいますのも、ユダヤ人は男性も女性も共に、頭をおおっていたからです。当時、ユダヤ人男性は、だだっ広いつばのついた帽子によって容易に見分けることができたのです。

Ⅰコリント11章における女性のかぶり物というのは、クリスチャン特有の慣習でした。女性は頭をおおい、男性は頭をおおってはいけないという掟は、文化ではなく、創造(の秩序)に基づくものなのです(7-10節)。

【神話その3】 コリントの人々がベールを着けていたのは、それが「オリエンタル」(中東)の風習だったからだ。

この神話についてはすでに少々前述しました。これは注解書の中で今でも見受けられる説ですが、地理的な無知に因るところ大です。

コリントはギリシアに位置しており、ギリシアはヨーロッパ一部です。つまり中東ではないのです!また、コリントの教会は主に非ユダヤ人で構成されていたようです。つまり大部分がユダヤ人の教会ではなかったということです。(ご承知のように、あなたがたが異教徒であったときには、どう導かれたとしても、引かれて行った所は、ものを言わない偶像の所でした。Ⅰコリント12:2.また使18:6参照)。

【神話その4】 かぶり物の教えは、もっぱらコリントにある教会に向けて書かれた。

この神話はふつう、「当時のコリント教会で何が起こっていたのか。なぜかぶり物についての指示が書き記されたのか。なぜ今日、それは適用されないのか。」といったことに関しての憶測と共に語られます。

この神話は、Ⅰコリント11章のかぶり物についての掟は聖書―つまり、神の御言葉であるーという事実をないがしろにしています。Ⅰコリントはすべてのクリスチャンに対して書かれたものであり、コリント人だけに宛てられたものではありませんでした(Ⅰコリント1:2、11:16)。聖書のある箇所をないがしろにし、「この部分は私たちには適用されない。」と決めつけるのは、(霊的に)危険です。

多くの学者は、なぜある事項が(聖書の中に)書かれたのかということを推測した上で、その憶測をあたかも事実であるかのように断言しています。これは高等批評の一部なのです。

注解書等で「おそらく~~のように見受けられる。」などの言葉を見つけた際には、書かれている推論を鵜呑みにしないように気をつけてください。これは真理というよりむしろ人間による推測にすぎないことが多いのです。

【神話その5】 この掟を与えたのは(神というより)パウロだった。

この神話は、聖書が霊感を受けて書かれた書物であることを直接的に攻撃しています。この神話は、「パウロが言っていたことは、、」とか「パウロは~と書いていた。」などという用語の下に隠されていることが多いです。これは聖書の掟を、人間の教えに変えてしまうものです。

パウロではなく、神がⅠコリントの著者です。パウロはその書記にすぎないのであって、著者ではないのです。聖霊がパウロに何を書くべきか示しました。つまり、パウロは自分自身の独断で書いたのではないのです。

「自分を預言者、あるいは、御霊の人と思う者は、私があなたがたに書くことが主の命令であることを認めなさい(Ⅰコリント14:37)」。神ではなくパウロがこの掟を与えたという、歴史的ないしその他いかなる根拠もそこには存在していません。

【神話その6】 (新国際訳NIVの脚注に書いてあるように)髪がかぶり物なのだ。

これは自分の欲するままに聖書を解釈したいがために、聖書を曲解している例の一つです。ここのギリシア語は、新国際訳の脚注にあるようには訳しえないのです。原語のギリシア語に言葉が付け加えられたり、逆に取り去られたりして、この解釈が出来上がっています。

新国際訳(NIV)は逐語訳ではありません。翻訳者の偏見が多くの箇所に表れています。ここで挙げた箇所はその一例です。歴史をみても、ギリシア語をみても、こういう解釈が施されるどんな根拠をも見い出すことができませんでした。歴史からもギリシア語からも、女性が二つのかぶり物――長い髪とベール――を必要としているとⅠコリント11章で言っていることは明らかです。

【神話その7】 かぶり物に関するこの箇所は、もっぱら公同礼拝のことだけを指している。

Ⅰコリント11章はもちろん公同礼拝を含んでいますが、そこ(公の礼拝の場)だけがかぶり物を着ける場所であるとは言っていません。

聖書の中では、私たちは、教会の中だけでなく、絶えず祈りなさいと命じられています。初代教会の姉妹たちは、主日だけでなく、一週間を通して、かぶり物を着けていました。

この神話は翻訳者や注解書の偏見等を通して生きながらえているのです。「礼拝における礼節」という新国際訳(およびその他の翻訳聖書)の見出しは、ギリシア語本文にあったものではなく、翻訳者によってつけ加えられたものです。

クリスチャン女性は、家であろうと公の礼拝の場であろうと、神の前に近づく時にはいつでも頭をおおうべきなのです。また男性は、家でも公の場でも、祈る時には頭にかぶり物を着けるべきではありません。

【神話その8】 服従は女性を男性よりも劣った存在にしてしまう。

神はこの問題(神話)について、「とはいえ、主にあっては、女は男を離れてあるものではなく、男も女を離れてあるものではありません。女が男をもとにして造られたように、同様に、男も女によって生まれるのだからです。しかし、すべては神から発しています(11、12節)。」と答えておられます。

男性も女性もなくてはならない存在で、等しく大切なのだと神は言っておられます。夫は妻から独立して動いてはなりませんし、逆もまた然りです。それぞれが神から与えられし役割を担っており、それは等しく大切なものです。

男性は女性なしには存在しえません――男性は女性から生まれるからです。また女性も男性なしには存在しえません――女性は男性によって身ごもるからです。クリスチャンとしての私たちが、「男性も女性も等しく大切であり、どちらかが劣っていたり、優れていたりするのではない」という理解をもつことを、神は望んでおられます。

【神話その9】 自分の教会の指定する特定のベールやかぶり物のスタイルだけが、真に頭をおおう物である。

この神話は、かぶり物について過度に規制し、神の掟に人間の掟を加えてしまった諸教会内で起こっています。伝統的には、メノナイトやアーミッシュが、ある特定のスタイル(それが一種類の場合もあれば数種類の場合もあります。)を、唯一の正当なかぶり物としています。

そうすることによって、ある特定のスタイルが、「かぶり物を着けている頭」の象徴とされる一方、その他のスタイルは、「安全ヘッドギア」ないし「世俗的」と呼ばれ、締め出されているのです。

例えば、保守メノナイトやアーミッシュの男性の多くは、日中ほとんどの時間、帽子をかぶっており、Ⅰコリント11章を考慮していません。彼らの中では、頭は「おおわれていない」と考えられています。なぜなら、それは女性に対して要求されている、教会指定のかぶり物のスタイルではないからです――でも実際には、帽子の方が女性のかぶり物より、むしろもっと多くの部分をおおっているのですが。

多くのメノナイト信者にとって、メノナイトの白いキャップスタイルのかぶり物は、祈りや預言をするためだけのかぶり物より、ずっと意味を持っているのです。形やサイズ、ひもにおける比較的なささいな変化によって、「この人はリベラルだ」とか「保守的だ」とか、レッテルが貼られます。こういった小さな相違でもって、他人の霊性を測る人も中にはいます。

神はかぶり物のスタイルを特定しませんでしたし、どのように頭がおおわれるべきかということについての詳細も与えませんでした。

それは垂れ下がる形のベールであるべきなのでしょうか。それとも帽子ないしはキャップスタイルであるべきなのでしょうか。神はそういったことを特定しておられません。

髪はすっぽりおおわれるべきなのでしょうか。それについても神は特に何を言っておられません。強調点は、頭を「おおう」という動詞にあるのであって、「かぶり物」という名詞にあるのではないのです。

このことは大切です。スタイルを特定せず、神はさまざまなスタイルや色のかぶり物を使う自由をお与えになっています。つまり、かぶり物が創造的で魅力的であること――そういった自由をお与えになっているのです。ですから、それは古めかしく、さえない物である必要はなく、きまり悪い思いをするような物である必要もないのです。

教会の力点が、何よりⅠコリント11章にあるかぶり物に関する神の教えに従うことにあるのであって、スタイルは二次的な問題であること――を、教会員の方々に感じてもらわなければなりません。

仮にそうではなく、教会員(特に若者)が、その逆のことを感じているのだとすれば、彼らはそのうち反動を起こし、「かぶり物は偽りの教えだ」もしくは「聖書の中では要求されていない教えだ」などと言って、やがてこれを拒絶するようになるのです。

【神話その10】 かぶり物を着けている女性はパンツをはくべきではない。

この神話は、クリスチャン女性がかぶり物を着けるべきことを教えている教派の大半で説かれています。クリスチャンとしての私たちは、もはや古い契約の律法(モーセ律法)の下にいるのではなく、新約の中でイエスが私たちに与えられている掟の下にいるのです。しかし、こういったグループの人々は、このテーマに限っては、古い契約の律法に逆戻りし、それに従うよう要求するのです。

この神話は「女は男の衣装を着てはならない」という申命記22:5、および不正確な翻訳に基づいています。

この節の「男」という言葉は、ヘブル語で戦士を意味します。ふさわしい("pertaineth")と訳されているヘブル語は実際、「道具、武具、大砲など」を意味します。この節は、女が軍隊に加わることや、戦士が女に扮装したりすることを禁じている箇所なのです。

クリスチャン男性や女性が互いに異なるスタイルの服装を着るべきだという神話がしつこく主張されているのは不思議です。といいますのも、聖書の時代はそういう風ではなかったからです。旧約時代も新約時代も、男女は互いに非常に似通ったスタイルの服装を着ていたのです。

たとえ旧約のこの掟が、女性が男性の服を着ることを禁じているとしても、これはもはや私たちクリスチャンには適用されないのです。なぜなら、私たちはもはや旧約の律法の下にはいないからです。申命記22:5の掟は、新約では繰り返されていません。新約では、クリスチャンは男性であろうと女性であろうと、軍隊に加わってはならないからです。

伝統主義の大きな誤謬の一つは、過去や、「いつもそうなされていた」その旧来のやり方にしがみついていることです。メリアム‐ウェブスター辞典によれば、まさしくこれが伝統主義の定義なのです。女性にパンツ(ズボン)使用を禁じるのは、彼らが数百年前のヨーロッパ式婦人服の伝統にしがみついているからです。

今日、アメリカでは、90%以上の女性が(いつもではないにしても)パンツをはいており、パンツが男性の服だとはもはや言えなくなっています。これはまた女性の服でもあるのです。現に、遠くから見ても、パンツをはいている女性は、女性だと容易に見分けることができます。

男女間における服装の区別について、イエスは新約の中で、私たちに掟を与えておられます。

Ⅰコリント11章の中で、クリスチャンの女性は髪を長くのばすべきこと、そして祈りや預言をする時にかぶり物を着けること、またクリスチャン男性は、髪を短く刈り、祈りや預言をする際、頭にかぶり物を着けてはならないことが説かれています。

その他、男女間における服装スタイルの区別について掟は与えられていません。旧約の律法に戻り、そこから一つの律法をひっぱり出してきて、教会の人々にそれを遵守するよう求めるのは間違っています。

その他のグループの人々が陥っている誤りはこうです。彼らは申命記22:5の旧約律法に戻って、女性にワンピースの婦人服を着るよう要求しています。

しかしその一方で、彼らはⅠコリント11章にある新約の掟(頭にかぶり物を着ける/着けないことに対する男女間の相違)はないがしろにし、これは適用しなくてもいいと言っています。

旧約律法と新約の掟の間を行ったり来たりし、えり好みしながら、教会が何に従うのか採択するのは間違っています。教会の指導者には、聖書の中のどの掟が人々が従うべきもので、どれは無視してもいいのかと、自分の都合のいいように決める権限はありません。

「私たちの中のある者たちが、私たちからは何も指示を受けていないのに、いろいろなことを言ってあなたがたを動揺させ、あなたがたの心を乱したことを聞きました。

「そこで、私たちは人々を選び、私たちの愛するバルナバおよびパウロといっしょに、あなたがたのところへ送ることに衆議一決しました。このバルナバとパウロは、私たちの主イエス・キリストの御名のために、いのちを投げ出した人たちです。

「こういうわけで、私たちはユダとシラスを送りました。彼らは口頭で同じ趣旨のことを伝えるはずです。聖霊と私たちは、次のぜひ必要な事のほかは、あなたがたにその上、どんな重荷も負わせないことを決めました。

「すなわち、偶像に供えた物と、血と、絞め殺した物と、不品行とを避けることです。これらのことを注意深く避けていれば、それで結構です。以上」(使徒15:24-29)。

「キリストが律法を終わらせられたので、信じる人はみな義と認められるのです」(ローマ10:4)。

「しかし、人は律法の行ないによっては義と認められず、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる、ということを知ったからこそ、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。これは、律法の行ないによってではなく、キリストを信じる信仰によって義と認められるためです。なぜなら、律法の行ないによって義と認められる者は、ひとりもいないからです」(ガラテヤ2:16)。

現在では、パンツとでもしっくりいく、さまざまなスタイルの女性用かぶり物があり、それらは場違いな感じでもなく、時代遅れな感じでもありません。

メノナイトやアーミッシュの女性たちを「かぶり物を着ける見本」としてみるなら、(祈りや預言をする時にかぶり物を着けるという)イエスの掟を実行するのはたいそう難しく思えるかもしれませんが、実際はそうではありません。

かぶり物についての研究をしながら、どれだけ誤ったクリスチャン情報がまことしやかに語られているか、そのことに驚きました。

今日、クリスチャンの教育水準は高いものであるにも関わらず、多くの人々は、自分自身で物事を調べるよりも、他人のなした研究や意見に依存している感があります。

みなさん、隠された宝を探すごとく(箴言2:4)、ご自身でⅠコリント11章やその他のテーマを掘り下げて研究してみてください。きっとあなたは自分の発見するものに驚くことでしょう。

そしてどうか、今日、「他の誰もが皆」かぶり物は必要ないと考えているからという理由だけで、Ⅰコリント11章にあるキリストの掟を無視することのないようにしてください。

脚注:

  1. David Bercot, Will the Theologians Please Sit Down(Amberson, PA: Scroll Publishing Co., 2009), pp. 156-157
  2. Eva Cantarella, Pandora's Daughters: The Role and Status of Women in Greek and Roman Antiquity(Baltimore, MD: Johns Hopkins University Press, 1987), pp. 140, 141, 148



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The Missing Key to Spiritual Maturity

In the fall of 2007, Willow Creek church released the results of their three million dollar research into the effectiveness of their church program and 30 other churches. They were shocked to find that they were not bringing people to spiritual maturity. What they thought would produce spiritual maturity was not. They believed that the more people participated in church programs the greater spiritual maturity it would produce. They found that the amount of involvement in church programs had no correlation with the depth of someone’s spiritual maturity. What makes this mistake so significant is that Willow Creek is a church that has 12,000 churches in their Willow Creek Association, and has taught thousands of pastors how to “do church” to produce church growth. To some degree, Willow Creek Church has influenced how most churches today “do church”. “And if the blind lead the blind, both shall fall into the ditch.” (Matthew 15:14)


What is the answer to helping people come to maturity in Christ? Take another look at the Great Commission. The answer is there. We have been focusing on the first part of the commission – evangelism – and have overlooked the second half thinking we know what it is saying. But look again at what Jesus says in giving us the Great Commission: “Go ye therefore, and teach all nations, baptizing them in the name of the Father, and of the Son, and of the Holy Ghost: 20 Teaching them to observe all things whatsoever I have commanded you: and, lo, I am with you alway, [even] unto the end of the world. Amen.” (Matthew 28:19) The missing key to spiritual maturity is teaching others Christ’s commands in the New Testament and teaching them to follow the commands. An excellent subject for Bible study is to take each of Christ’s commands and study them. There is a list of Christ’s commands on this website.



Discipleship, Spiritual Maturity, and Christ’s Commands

Jesus defines a disciple as one who follows His commands. A person who is spiritually mature is one who knows Christ’s teachings in the New Testament and who follows them with all his or her heart, soul, mind and strength. The following passages of Scripture over and over stress the importance of doing what Jesus says to do:

 


Matthew 7:22 Many will say to me in that day, Lord, Lord, have we not prophesied in thy name? and in thy name have cast out devils? and in thy name done many wonderful works? 23 And then will I profess unto them, I never knew you: depart from me, ye that work iniquity. 24 Therefore whosoever heareth these sayings of mine, and doeth them, I will liken him unto a wise man, which built his house upon a rock: 25 And the rain descended, and the floods came, and the winds blew, and beat upon that house; and it fell not: for it was founded upon a rock. 26 And every one that heareth these sayings of mine, and doeth them not, shall be likened unto a foolish man, which built his house upon the sand: 27 And the rain descended, and the floods came, and the winds blew, and beat upon that house; and it fell: and great was the fall of it.


Matthew 19:17 And he said unto him, Why callest thou me good? [there is] none good but one, [that is], God: but if thou wilt enter into life, keep the commandments.


John 14:15 If ye love me, keep my commandments.


John 14:21 He that hath my commandments, and keepeth them, he it is that loveth me: and he that loveth me shall be loved of my Father, and I will love him, and will manifest myself to him. 22 Judas saith unto him, not Iscariot, Lord, how is it that thou wilt manifest thyself unto us, and not unto the world? 23 Jesus answered and said unto him, If a man love me, he will keep my words: and my Father will love him, and we will come unto him, and make our abode with him. 24 He that loveth me not keepeth not my sayings: and the word which ye hear is not mine, but the Father's which sent me.


John 15:10 If ye keep my commandments, ye shall abide in my love; even as I have kept my Father's commandments, and abide in his love. 11 These things have I spoken unto you, that my joy might remain in you, and [that] your joy might be full. 12 This is my commandment, That ye love one another, as I have loved you. 13 Greater love hath no man than this, that a man lay down his life for his friends. 14 Ye are my friends, if ye do whatsoever I command you.


1 Corinthians 7:19 Circumcision is nothing, and uncircumcision is nothing, but the keeping of the commandments of God.


2 Corinthians 2:9 For to this end also did I write, that I might know the proof of you, whether ye be obedient in all things.


Galatians 5:7 Ye did run well; who did hinder you that ye should not obey the truth? 8 This persuasion [cometh] not of him that calleth you. 9 A little leaven leaveneth the whole lump.


Philippians 2:12 Wherefore, my beloved, as ye have always obeyed, not as in my presence only, but now much more in my absence, work out your own salvation with fear and trembling.


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